こんにちは,「土蜘蛛の都」プロジェクトを企画しました白汐黎(はくせきれい)と申します.
ここでは私,白汐黎の遍歴と本プロジェクトを立ち上げるまでの経緯をお話しします.
※土蜘蛛みやこ(仮想のキャラクター)と,企画者である白汐黎(現実の人間)とは明確に別人です.
企画者である”白汐黎”は,オリジナルキャラクターの土蜘蛛みやこを通じて,現実に「土蜘蛛の都」を築くことを目指しています.
〇白汐黎の名前の由来について
当然ながら,この名前はネット上での活動名に過ぎません.
この活動名は,私の大好きな鳥のハクセキレイ(Motacilla alba)に由来しています.
名前の「黎」には黒色という意味があり,「白」と「黎」の間に「汐」を挟むことで,白と黒の間を満ち引きしていることを表現しています.
私は白黒と物事をはっきりさせることはあまり好きではなく,あいまいな世界に居心地の良さを感じているため,白と黒の中間を表す活動名にしました.
〇私の生立ちについて
みやこは生まれつき肌が弱く,天つ神に迫害され,その復讐さえうまくいきませんでした.
企画者である白汐黎も,嘗てみやこと同じ境遇にありました.
みやこが先天的な皮膚病を有するのと同様,私は生まれつきアトピー性皮膚炎に悩まされてきました.
家庭は貧しく,両親は毎日のように喧嘩し,酒に溺れた父親から虐待を受けました.
人目を気にせず大声で暴言を吐くことは日常として,私が寝ている布団の上に乗られ窒息寸前にされたり,機嫌の悪い父に隣で一緒に寝るように強要されたり等….
中学からは祖母の認知症が悪化したために介護のための同居を強いられ,風呂場では祖母の糞便の後始末に悩まされる始末….
耐え難いストレスにより持病のアトピーも悪化し,「普通」の生活も次第に困難となっていきました.
結果として他人の目ばかり気にするようになり,少しずつ本来の私が失われていきました.
幼い頃に心に描いていた夢は失われ,本当に私のやりたかったことは既にわからなくなっていました.
やがては大学受験で周囲を見返すために努力をしますが,完全には思うように行きませんでした.
しかし,一人で私を守ってくれた母親の恩義も感じ,母親の期待に応えるためにも就職はしなければ,と必死でした.
みやこと同様,私はずっと希死念慮と闘い続けました…私には生きている価値がない,と.
やはり死ぬことは怖く,落ち込んだ状態で何年もダラダラと生き続けました.
〇変化のきっかけ
具体的なきっかけは特になかったです.大学時代,私は唐突に己自身に対して激しい悔しさを感じたのです.
「このような辛い思いばかりをして,私は何のために生まれてきたのか」とばかりに.
その時に思いました,「どうせ死ぬのであれば,とことん自然淘汰に抗ってやろう」と.
当時の私は顔のアトピーが酷く,人と会って話すこともままならない状態でした.
そのため,まずは体調管理と肌を綺麗にする方法を勉強し,これまで抵抗のあったメイクについても勉強しました.
初めは笑われました.ファンデを濃く塗り過ぎて妖怪みたいになっていたこともありました.
しかし,練習を繰り返すにつれ,笑われることはなくなり,自分に自信がついて精神的に安定するようになりました.
やがて,色々な人と話ができるようになり,これまでには受け入れなかったような考えも受け入れられるようになりました.
そして,みやこと同様に私は,人々と出会い,考えたことを整理する過程である一つの考えに至りました.
「この世界には元来価値などない.価値を決めるのは他の誰でもなく自分自身である.だから,これからは他を見返すためや他の期待に応えるためではなく,己の幸せのために生きて良い」
と.
〇大好きな生物研究を通じて,「土蜘蛛の都」を築きたい
私は昔から生き物が大好きで,大学ではその関係の研究に熱中し,そこでクモに興味を持ちました.
糸を用いた独特な分散様式,陰茎を介さない特殊な交尾様式など….
もっと早くからクモの勉強を始めていれば…,と後悔するほどでした.
そして,クモについて勉強をする過程で,「土蜘蛛」という人々の存在を知りました.
「土蜘蛛」とは古代日本において王権に従わぬ土着の民を指し,反逆者として虐げられてきました.
挙句の果てに,民に「土蜘蛛=敵」として認識させるために,古事記・日本書紀などでは彼らに「鬼」のレッテルを貼りつけたとのことです.
王権は土蜘蛛を服従させるための手段として暴力を選び,彼らから幸せな生活や信じる神を放棄させました.
しかし,私は服従を強要するのでなく,互いの文化を尊重し合い,其々が己の幸せのために生きるという道もあったのではないか,と思っています.
また,日本人には生き物のクモを嫌う方が多いです.
屋内に現れること,8本脚であること,網がベタベタすることなど理由は沢山考えられますが,私は重要な要因として,「土蜘蛛=敵」という歴史的な認識から派生して「クモ=敵」という認識が日本人に根付いてしまったからではないかと思っています.
しかし,クモの魅力に気が付かぬまま一生を終えるのは勿体ないかと思います.
クモにはその豊満な腹部ですら隠し切れない魅力が溢れているのです.そして,それは皆さまも同じです.
このブログに興味を持ってくださった方の中には自らのことを「負け組」,「陰キャ」などと自身に負のレッテルを貼る方もいることでしょう.
しかし,そんな弱い人だからこそ,できることがあると考えています.
アトピー・虐待・ヤングケアラーと弱者要素でいっぱいの私だからこそ,伝えられることがあると信じています.
私は,人々が自らの本当の魅力に気が付き,己の幸せのために生きられるようになる世界,即ち「土蜘蛛の都」を築くことを目指し,活動をしていきたいと思います.