こんにちは,土蜘蛛の都企画者の白汐黎です.
私は生後半年でアトピー性皮膚炎と診断され,20数年の間持病と付き合ってきました.
一時期は寝たきりになるまでに悪化をしましたが,現在では常人以上に活動できるまで寛解しました.
ここでは私のアトピー遍歴を辿ると共に,私の寛解させた方法をお話ししたいと思います.
尚,症状には個人差があるため,私の方法が必ずしも効果があるとは限らないので注意が必要です.
〇小学生~中学1年
小学生の頃はとにかく塗り薬が嫌いな子供だったことを覚えています.
学校に登校する直前には母親が私に薬を塗ろうと試みますが,いつもその手を振りほどき家を出ました.
そのため,いつも肘の裏や膝の裏が炎症を起こしていました.
顔に出ることも多々ありましたが,美容にも興味のない小学生時代は気にせずに学校に通っていました.
小学生時代にもアトピーの悪化する原因はいろいろとあったかと思います.
まず,父親による虐待に伴うストレスです.
虐待と言っても暴力的な虐待は受けたことがないですが,精神的なものは多くありました.
簡単に虐待の例を挙げると…,
・住んでいる団地において,昼夜問わずに大声で怒鳴り声をあげる.
・私や母,そして自分自身に対して「バカ〇〇は生きている価値がない,死んだ方が良い,生まれてこなければよかった」等と平気で言う
・父親自身の悪口を書いた貼り紙を周りの人に見える場所(団地の自転車置場等)に貼る.
・私の寝ている布団の上にのしかかり,窒息寸前にされる.
・毎日のように死んだふりをし,救急車を呼ぶように求める.死んだふりを解除するためには私が変顔をしたり,下半身を露出したりしなければならない.
・死んだふりをしているときに父に構ってあげなければ,本当に父自ら救急車を呼ぶ.これにより救急隊に怒られたことがある.
・泥酔した状態で機嫌が悪い時は,必ずと言って良いほど父の隣で無理やり寝かされる.
・父親を寝かしつけるために,私に変顔をすることを強制する.
・泥酔した状態で帰宅し,家の廊下などに糞便を撒き散らかし,私と母が掃除する羽目になる.
・私の最愛のぬいぐるみを虐めたり,口に入れたりし,取り返すには私がアニメキャラの真似をしなければならない.
・私や母に相談することなく,連帯保証人になったり,友人と起業を試みたりする.尚,全て詐欺.
・父方の祖母と介護のために同居することになるが,父は祖母と仲が悪いことから介護を手伝わず,私と母任せ.
自分で書いておいてなんだが,マジでなんだこれ().全て事実だから本当に困るんですよね….
また,父親は熱心なキリスト教信者であり,母と私に毎週一緒に教会に行くことを強制しました.
しかし,父は教会での人間関係がうまく行かず,教会の帰り道に八つ当たりを母と私にしていました.
私の住む団地から教会までは片道1時間程度かかるため,幼い私にとって毎週1時間の両親の喧嘩はストレスフルなものでした.
このストレスに起因して,私はお菓子を食べる量が次第に増えていきました.
また,私の家庭は貧しく,夏休み期間の昼ごはんは100円をもらって自分で買って食べるという生活をしていたため,
安価なパンやカップラーメンを食べることが習慣になってしまいました.
そのため,薬嫌い,ストレス,杜撰な食生活によって症状は悪化する一途を辿っていました.
中学1年までは小学校と似たような生活を送っていました.
〇中学2年~高校3年
中学2年の時,私のこれまでの生活を大きく変えるイベントが起こりました.
中学2年の時は担任の先生もアトピーを患っており,私の症状を心配してくれたのです.
嘗ての私は「病気は医者が治すもの」と当然のように思っていましたが,担任はアトピーに関する本を貸してくださり,ここで私は初めてアトピーの症状を自らの努力によって抑えられることを知りました.
特にアトピーと食生活が密接に関わっていることを知った時は,衝撃を覚えました.
その本にはアトピー患者が食べてはいけない物の一覧が記されていました.
チョコレートはダメ,アイスはダメ,ポテトチップスはダメ,ラーメンはダメ,揚げ物はダメ…,アトピー患者はこんなにも人生を制限されるものなのか,と思いました.
しかし,当時の私は律儀にも本に書かれていたことを全て守っていました.
給食のデザートは友達にあげ,塩素が症状を悪化させるからとプールの授業も欠席しました.
その成果もあってか,症状は快方に向かっていました.
しかし中学3年の時,私のアトピーの症状を再び悪化させる出来事がありました.
それは…,なんと,中学2年の担任がチョコレートのアイスを食べていたのです!!
ストレスとのバランスをとるために,たまに食べる程度であれば問題がないことは今となってはわかりますが,当時の生真面目な私にとっては衝撃的でした.一番信頼している人に裏切られたとさえ思いました.
これを機に1年間好きなものも食べられぬ苦しみを我慢していた私のリミッターは解放され,今まで以上にお菓子を食べるようになってしまったのです.
また,受験シーズンとも重なってしまったため,中学3年から高校3年にかけてはアトピーは悪化する一方でした.
加えて,中学3年の時に認知症の祖母(父方)と同居することになったことも症状悪化に大きく関係したと思います.
まず,同居するにあたり祖母の家に引っ越しましたが,風呂の仕様がこれまで住んでいた団地と違いました.
なんと祖母の家では,60℃の熱湯がスイッチひとつで簡単に出てくるのです!!
これまで住んでいた団地では仕様上簡単に熱湯が出なかったことから,このことは衝撃的でした.
ここで私はアトピーの傷口に当てる熱湯が破壊的に気持ち良いことを知ってしまったのです.
一時的な気持ち良さを求めて私は熱湯を浴びるようになり,アトピーは悪化していきました.
一方,風呂に入らないは入らないでアトピーは悪化します.
しかし,祖母と同居をするにあたり,当時の私が風呂嫌いになる地獄の出来事が発生します.
それは,風呂場に糞便が落ちていたのです.認知症の祖母が風呂でしてしまったのでしょう.
これがトラウマとなり,風呂場で糞便を見ることを恐れて私は風呂に入る頻度が激減しました.
上記に加えて,高校時代は祖母の介護,部活での人間関係,大学受験に悩まされ,症状は悪化するばかりでした.
こうして私の青春時代はアトピー性皮膚炎によって全てを奪われてしまったのでした.
〇大学1年~2年
このような状況でありましたが,周囲の助けを借りながら(第1志望ではないですが)希望する大学に進学することができました.
また上記のような経過もありましたが,貧しいながらも大学まで通わせてくれた両親にはとても感謝しています.
大学に進学してからは,祖母がデイサービスに通うことが決まり,風呂を施設で入ってくれるようになりました.
これで風呂関係のストレスは収まり,私が祖母の面倒を見る時間も減りました(とは言いつつ私が家に居る夜の時間帯は祖母も帰ってきているので大して変わらないか…).
また,時間的な余裕ができて漸く,若者らしく美容や恋愛に興味を持つようになりました.
しかし,今の私にあるのは炎症した真っ赤な顔面と,炎症し尽くしてしまった黒い痕跡.
その顔の汚さに父親からちゃんと顔を洗っているのかと言われた時には殺意が湧きました.誰の所為だよ,と.
アルバイト先の客からは肝臓が悪いのか,と言われる始末.私,お酒大嫌いなんですけど…(父親の所為).
見た目より心が大事とはよく言いますが,とてもじゃないですがこんなのを好きになる人がいるとは到底思えません.
そのため,まずはアトピーを完治させることから始めることにしました.
しかし,毎日欠かさずに薬を塗っていても中々良くならず,慢性化を辿る一方….
このような状況下に嫌気がさした私は,ある記事(本だったかも…)を見つけました.
「ステロイドは悪である,アトピーを完治するには人工的な成分を完全に排除しなければならない」
といった旨の記載がありました.
ここでステロイド(薬)を完全に断つ治療法:「脱ステロイド」(脱ステ)の存在を知りました.
脱ステを始めてからは病院に通わなくなり,無農薬野菜など自然由来のものだけを摂るように心掛けました.
薬を一切塗らなくなったため,1カ月程度で肌はこれまでにないほどにボロボロになりました.
肌をなにかで締め付けていない状態では痛くて動くこともできなかったため,真夏にも関わらず長袖やマフラーで全身を固定していました.あの時ほど肌が綺麗な人間を憎んだことはありませんでした.
それでも脱ステをやめませんでした.
なぜなら,当該記事には「肌を一度完全に壊すことによって,そこから綺麗な肌が出現する」とあったからです.
ここまで頑張ったのに,ここでやめたら今までの努力が元の木阿弥になってしまうという一心で脱ステを続けました.
しかし,脱ステを開始して2カ月,とうとう私は半ば寝たきりになってしまいました.
大学の講義とアルバイトの時間以外,家で寝て過ごすようになってしまったのです.
(というかこの状況下で講義フル出席のGPAトップだった私…,今思えば化け物かなと思います)
そして,脱ステを開始して3カ月,かなり本気で自〇することを考えました.
あのまま車に飛び込んでいった方が今よりは楽かな-,とか本気で思っていました.
行くところまで行った私は,最終的に「仮にステロイドが悪だとしても,ステロイドを使って人間的な生活をした方がマシ」という結論に落ち着き,3カ月目にして脱ステをやめました.
〇大学3年
脱ステでひどい目に遭ってからは,ステロイドを活用してアトピーを治すことを目指すようになりました.
これまでとは異なり,信憑性のないネット記事ではなく,本や論文を基に調査を行うように心掛けました.
調査を重ねるにつれ,私はアトピーが完治させることの難しい病気であることに気が付きました.
完治を目指すのではなく一生アトピーと付き合う前提で考え,症状の緩和した状態を一生保持する「寛解」を目指す必要があると思うようになったのです.
この際,私は愛読書と出会いました.それは,『頑固なかゆみもアトピーも1分肌活で必ずよくなる』(豊田)です.
この本には,奇をてらった民間療法などではなく,当たり前のことを当たり前のように継続した人が寛解したという旨が記されていました.
ここで言う当たり前のこととは,①病院の先生の言うことを守って薬を使い,②肌を傷つけないような生活を心掛け,③肌を再生させるような取り組みを行う,という3つのことです.
まず①について,アトピーが寛解しない原因として,薬を適切に使用せずに慢性化していることが挙げられます.
とは言いつつ,全ての病院の先生が適切な薬の使い方を丁寧に教えてくれるとは限りません.
実際,私の主治医もそんな感じですので,私は主治医に対して「薬を処方してくれるだけの存在」と割り切り,先ほど紹介した本の内容に従って薬を塗るようにしています.
次に②について,重要なのは食生活です.アトピー患者は特定の抗体が多いために,過剰な免疫反応が起こることで痒みが生じると考えられています.
そのため,食事の特定の成分が抗原になっていることも考えられます.
そのため,私は食事に関して「なにを食するかよりも,なにを食さないかが重要」と考えています.
私がアトピーを寛解させた食事法については,また別記事に記す予定です.
また,風呂の温度に気を付けることも重要です.嘗ての私のように熱湯ばかり浴びていると痛い目に遭います.
③については①・②と比較すると重要性が薄いと考えています.食事や美容液,施術などですね.
このことについても,また別記事に詳細を記す予定です.
ただ,肌を再生させるために施術に高いお金を払うよりかは,メイクで誤魔化した方が手軽かなと私は思います.
〇大学4年~現在
大学3年時の努力もあり,私は大学4年までにアトピーを寛解させるに至りました.
また,研究室配属に伴って研究にやりがいを見出し,嫌なことを考える時間が殆どなくなったことも大きいです.
更に,この年に父親が亡くなったため,(失礼ながら)ストレスが緩和されたことも大きかったです.
(しかし,修士課程に進学するため,学費を稼ぐためにアルバイトを掛け持ちする必要性が現れましたが…,母も60代後半と高齢でしたので)
大学4年時には炎症も殆ど落ち着いており,今までは敬遠していたメイクにも挑戦できるようになりました.
メイクを勉強したばかりの頃は,妖怪扱いされて笑われたこともありました.
しかし,毎日練習を重ねるにつれて上達し,最近では褒められ,それなりにはモテるようにもなりました.
人間見た目より心が重要とは言いますが,やはり見た目の調子が良いと心も安定してくるものです.
最近はアトピーのことも殆ど考え亡くなり,愉しく仕事や研究に打ち込んでいます.
この記事はあくまで私の経験に過ぎませんが,参考にしていただけると過去の私も報われるかと思います.
アトピーに悩まれる皆さまが自身にとって最適な方法を見つけ出し,寛解されることを心よりお祈り申し上げます.