⚠️勉強の強要は虐待です!⚠️
こんにちは, 土蜘蛛みやこです.
私は生物学者であると共に, 「弱者学者」でもあります.
「弱者学」という学問は今私が作りました(起源主張).
私が「弱者学」を研究する過程で, 子供の虐待について関心を持ちました.
私は父親から虐待を受けてきましたが, 幸いなことに勉強については自由にさせて貰えました.
(私が受けてきた虐待は『(6)思えばあれは虐待だった』をご覧ください)
「勉強しろ」と言われたことは殆ど無く, 進路についても(国立限定で)自由に選ばせてくれました.
しかし, 世の中には子に勉強を強要し, 進路までも決めてしまう親がいるそうです.
第10回の当記事では, このような弱者に焦点を当てて哲学していきたいと思います.
ここで言う弱者は子だけでなく, 親も指しています(情報弱者と揶揄する意味合いで).
(1)小学校から塾に通っていた同級生
私には保育園時代から私のことを虐めてきた同級生がいました.
彼の親は教育熱心で, 小学校から塾に通わせていました.
私は彼と保育園は同じでしたが, 小学校は別になり, 中学で再会することとなりました.
中学校では彼と同じ部活動に入ることになり, また虐められる毎日を送っていました.
そんなある時, 彼と中間試験の結果を話したことがありました.
私は彼が小学校から塾に通っていたことを知っていたため, 彼には勝てないと思っていました.
しかし, いざ結果を開示してみると, なんと私の順位の方が高かったのです.
これはどういうことでしょうか…?
(2)私が勉強を頑張るようになったきっかけ
中学校から試験の順位が開示されるということを知った私は, 実は母に一つのお願いをしていたのです.
3DSというのがまた世代を感じさせますね.
このような約束をする着想は, 『らき☆すた』という漫画から得ました.
この漫画に, 主人公が試験の成績次第で父親から欲しい物を買って貰えるという回があったのです.
ここから私は更に調子に乗り, 最高順位として学年3位まで上り詰めました.
正直, この方法は得策とは言えません.
私は勉強する過程で学問の愉しさに気が付けたから良かったですが, 物で釣らなければ勉強しない子が育つこともあり得ると思います.
ここで重要なことは物で釣るということでなく,
ということです.
では, どうすれば子自らの意思で主体的に勉強して貰うことができるのでしょうか?
以下で紹介する方法は, 私は親になったことがないために再現性のある方法とは言えません.
但し, 親ではなく子の立場から記載しているため, 普段と視点を変えて物事を観察できることでしょう.
(3)子は親を見て育つ
⚠️「親は楽な思いをして, 子には辛いことをさせる」ことは虐待です!⚠️
つまり, 「親は勉強してこなかったのに, 子には勉強させる」ということも虐待と言えます.
私の両親は特別学問に秀でている訳ではないものの, 毎日なにかしら本を読んでいました.
私はその姿を見て育っているため, 周りの子よりは勉強することに対して抵抗がなかったと思います.
仮に両親が私に「勉強しろ」と言ったとしても, それなりには説得力があったかなと思っています.
普段から子供に勉強している姿を見せ, 子供と一緒に勉強するといった過程は非常に重要です.
但し, 隣で監視するのではなく, 「親と子で別々の勉強をしていて子供が質問して来たら教えてあげる」程度の距離感が適切かと思います.
「勉強=嫌なこと」という式を植え付けないよう注意が必要です.
(4)勉強を勉強としてやらせてはいけない
理想的を言えば, 「子供が学問に興味を持つ⇒将来その学問の仕事がしたいから勉強する」といった子が主体的に勉強する流れを形成することが最高と思います.
そのため, 小学校時代は子を塾に通わせるより, 色々なことを経験させてあげることが必要と思います.
例えば, 水族館に連れて行く, ゲーム制作の体験教室に連れて行くなど….
また, アニメやゲームを極端に規制することも良くないかと思います.
好きなアニメからなにかに興味を持つことも充分にあり得ます.
子がどのようなきっかけでどのような学問に目覚めるかはわかりません.
だからこそ, 可能性を狭めずに色々なことをやらせてあげることが大切かと思います.
その中で子自らが心から愉しいと感じるものに出会えれば, それを目標として自ずと勉強をしてくれることと思います.
因みに, 私が生き物を本気で好きになった理由は, 好きな人が好きだったからです.
(5)子と一緒に勉強する理由を考える
子供に「勉強しろ」という親は勉強と学問の本質を弁えていないことが多いです.
親自身が勉強する理由を弁えていなければ, 子が納得してくれる筈はありません.
そのため, 子供と一緒に勉強する理由を考える時間をつくりましょう.
私自身, 勉強と学問を為す理由について既に記事を作成しているので参考にしていただきたいです.
(『(8)大学を卒業して行き着く先は』,『(9)勉強はなぜ必要か』)
子自身が自らの頭で考え, 勉強する必要性を納得することができれば, それが主体性に繋がると思います.
(6)おわりに
親が子に「勉強しろ」という理由は, おそらく子供のことを思ってではありません.
親自身も自らが「子供のため」と思い込んでいるかもしれませんが, 心の奥底には学歴コンプレックスや見栄が眠っていることでしょう. これだけは間違いなく, このことを親は認め, 恥じなければなりません.
当記事で一番言いたいことは以下のことです.
人間である以上, 見栄は誰しもあります. それは必ずしも悪いこととは言えません.
しかし, 例え内心は見栄が目的であるとしても, 子自身の主体性を尊重してあげましょう.
時間はかかると思いますが, その方が成功率は上がると思いますし, なにより子供の幸せに繋がることでしょう.
どうぞよしなによしなに.