こんにちは, 土蜘蛛みやこです.
私は社会人の新人時代に言われた言葉を今でも覚えています.
あれ, おかしいな…, 極力目立たないように生きてきたと思っていたのだが…?
さて, 我々社会不適合者が己の夢を実現する上で, 常に立ちはだかるのは人間関係です.
社畜時代特に曲者なのが, 大嫌いなパワハラ上司.
彼は私を常に否定し, 息をするように私のモチベーションを削いできました.
そもそも方言が強すぎてなに言ってるか全く聞き取れず, 私の話を聞こうともしないので全く意思疎通ができませんでした.
毎日のように理不尽に叱られ, 自〇を試みたこともありました.
しかし, 私は上司に屈することなく, 働きながら努力して, 遂に夢であった独立を目前としました.
夢を叶えるために, 私が実践してきた「日本語通じない系パワハラ上司」から自分の心を守る方法を幾つかご紹介したいと思います.
(1)パワハラ上司が「怒りたいから怒っている」ことを理解する
私の愛読書, 『嫌われる勇気』(岸見・古賀)ではアドラー心理学を取り扱います.
アドラー心理学では, 「原因論」と「目的論」という二つの思考体系を掲げており, 我々人間が「目的論」に基づいて行動をしていることを理解するべき, としています.
例えば, 私は大学時代に寝たきりになるほどアトピーが悪化したことがあります.
これについて「原因論」では,
と考えます.
一方「目的論」では,
と考えます.
つまり, 「目的論」は超絶ストイックな思考体系です.
しかし, 我々弱者が生まれ変わるためにはこの「目的論」を身に付け, どんな困難にも屈することなく努力することが必要です.
では, この「目的論」がパワハラ上司とどのような関係があるのでしょうか?
そもそも説教をする目的は, 部下に仕事ができるようになってもらうためです.
その目的を果たすためには, 必ずしも「怒る」という手段を採用する必要はありません.
寧ろ, 気弱な部下に対しては逆効果になることさえあり, 部下の性質に応じて説教の方法を柔軟に考える必要があると考えられます.
しかし, 相手を選ばず「怒る」という選択肢を採り続けるということは…?
「怒る」という行為によって得られる快楽物質でもあるのでしょう(適当).
快楽物質に溺れて他を傷つけるなど, 酒や煙草に溺れて私と母を傷つけた私の父親と同じです.
私の父親による虐待についてはこちらをご参照ください.
そんな合理性に欠ける説教を真に受け, 心を壊す必要などないのです.
更に注意して頂きたいのは, 上司の説教をする目的が部下に仕事をできるようにさせるためでなく, 部下を「洗脳」するための時です.
そんな上司の言うことは尚更真に受ける必要などありません.
(2)パワハラ上司に仇名をつけ, 心の中で逆らい続ける
この項目は控えめに言って「マトモではない」です.
ある時, 上司が毎日私に聞こえるように蔭口を言ってくるので, 私もやり返してやりたくなりました.
そこで私が考えたのは, パワハラ上司に心の中で仇名をつけることです.
どうやら, どこかの界隈では他人を侮辱する際に「ップ」をつけると聞きました(例:ジャップ).
私はこれに倣い, パワハラ上司のことを心の中で「プ」と呼ぶようにしました.
そしたら, ちょっとだけ可愛く見えた気がしました(気のせい).
また, パワハラ上司に対して心の中で反逆しまくるように意識していました.
姿の見えていない状態で上司と電話をする時には中指を立てまくっていました(今となっては恥ずかしいですが…).
ここで気を付けて頂きたいのは, 私が他人を軽く見ることを推奨している訳ではない点です.
寧ろ, 他人を軽く見たり, 悪口を言ったりすることは己の人生を退屈にし, そのようなことに時間を費やす位なら大好きなことをした方が余程愉しいと思います.
ただ, パワハラ上司の言うことを余りに真に受けすぎて自分の心が壊れてしまう位なら, 心の中では上司に逆らい続け, 寧ろ上司の方を壊してしまう位の強いメンタルを持った方が良いと思います.
結局, 人生の本質は己の幸せであり, 自然淘汰の原理にある通り, 他人に壊されるくらいなら他人を壊してでも己の幸せを勝ち取った方が合理的です.
誰に対しても優しくする必要などなく, 「嫌いな奴は嫌い」で良いのです.
但し, 心の外に出してパワハラ上司に逆らうのは賢い選択でないと思います.
言い争うのにも時間とエネルギーが必要であり, ただただ説教の時間が延びるだけなので表面的には真摯に聞いているフリをするのが一番です.
仕事に対してそれだけの実力と情熱があれば心の外に出して逆らうのも一つの選択肢ですが, パワハラ上司に悩んでいる人にそのようなことは難しいと思います.