こんにちは, 土蜘蛛みやこです.
私は以前, 弱者学者でありながら生物学者でもあると名乗りました.
しかし, ここまで殆ど生物学者らしい記事は作成していませんでした.
そこで, 本日は私の研究についてご紹介したいと思います.
私の研究のキーワードは「自然淘汰」であり, これは当ブログ全体を通じての重要テーマでもあります.
(1) 動物分類学
私の研究テーマ, それは「動物分類学」です.
従来, 生物は見た目によって分類されていました.
見た目の近い者同士が進化的に近縁であるとする考え方ですね.
しかし, 近年ではDNA研究の発展に伴い, 見た目は必ずしも正確な系統関係を示さないことが明らかになりました.
例えば, 収斂進化.
収斂進化は別系統の生物が似た環境に棲息することで, 似た見た目に進化することを指します.
当ブログに名を冠する「クモ」が属している「鋏角類」で例を挙げます.
鋏角類にはクモの他にカブトガニやウミサソリ, サソリが含まれます.
ウミサソリは古生代の海に棲息していた生物で, ペルム紀末の大絶滅(P-T境界)で絶滅したとされています.
サソリとウミサソリは見た目が類似し, 互いに最も近縁と従来では考えられていました.
そのため, ウミサソリが上陸してサソリに進化し, サソリからクモなどが進化したと考えられていました.
しかし, 近年の研究においてこの見解は支持されず, サソリはウミサソリよりもクモなどと近縁であるという結果が示されました.
即ち, 古生代の海中にはウミサソリやカブトガニの他にもサソリやクモなどの直接の祖先にあたる様々な鋏角類が棲息しており, 鋏角類において複数回に渡り上陸が為され, クモ綱(クモ, サソリなど)はウミサソリやカブトガニとは別系統の水棲祖先に起源する可能性が高いです.
まとめると, サソリとウミサソリは互いに別系統であるが, 類似した見た目を持つために収斂進化であると一説では考えられています.
私の研究においても, DNAから得られた系統関係が従来の見た目による分類と異なることが示され, 有り難いことに既に論文雑誌にアクセプトされています.
現在は別のテーマについて論文を執筆する準備をしております.
(2) 生物の進化と自然淘汰
それでは, 生物はいかに進化してきたでしょうか.
生物の進化説の原動力として特に有力であるのが, 「地理的隔離」です.
地理的隔離の始まりは, 山の隆起などによって生物の棲息場所が分断されることです.
分断されると, 其々の棲息地で生き残る上で有利な力(形質)が異なってきます.
例えば, アフリカとロシアでは環境が全く異なるために生存に有利な形質が異なります.
暑い土地では発汗機能の高い個体が, 寒い土地では筋肉量の多い個体が有利なイメージ.
形質には後天的なものもありますが, やはり先天的なものの影響は大きいです.
生物には個体差(変異)があるので, その環境に適した形質を持つ個体が生き残ります.
その土地での生存に有利な個体同士が交配を重ねることで, その形質は世代を経て徐々に強くなっていきます.
やがては棲息場所が分断される前は同種であった生物が別種に分岐します.
このように世代を経て種が分岐することを「種分化」といい, これこそが「進化」です.
地理的隔離の有名どころは鈴鹿山脈です.
鈴鹿山脈は滋賀と三重の県境を南北に走る山脈で, 日本の生物相は鈴鹿山脈を境に西日本と東日本で大きく異なっています.
今回の記事は初学者にとって難しいので, またDNAについてわかりやすく解説する記事を作成します.
今回特に読んで頂きたいのは, 次項になります.
(3) 生物界と人間社会は同質
上記で生物には個体差(変異)があり, その環境に適した個体が生き残ると述べました.
生物は, その環境に適した個体が生き残り子孫を残し, 不適合な個体は子孫を残せず終わるという「トライアンドエラー」を繰り返して進化してきました.
このプロセスは「自然淘汰」と呼ばれます.
自然淘汰は生物界だけでなく, 人間社会においても進化メカニズムの中核を担います.
多くのことは遺伝子と環境で決まり, 生存に不利な個体はなにもしなければ淘汰されるがままです.
そのため, 今話題の「親ガチャ」は確実に存在すると言わざるを得ません.
遺伝子と環境の違いが存在する以上, 人間は生まれつき平等ではないのです.
しかし, 以前に述べたとおり, 我々土蜘蛛(弱者)には落ち込んでいる暇などありません.
「親ガチャ」の存在を受け入れた上で, 自分を変える努力をすることが不可欠です.
なぜなら, 私の人生を生きるのは「私」だからです.
どんなに文句を言っていても誰も助けてはくれません.
人間社会にも自然淘汰は存在しますが, 人間には他の生物と大きな違いがあります.
それは, 自然淘汰に一矢報いることのできる「考える力」を持つことです.
人間以外の生物には「考える力」がないので, 自然淘汰に反逆することができません.
そのため, 単純に生まれつき外観に性的魅力を持つ個体が生き残る傾向があります(※).
勿論この傾向は人間にも根付き, 高身長イケメンや美人は生存に当然有利です(絶許).
この外観の性的魅力には, 「自らと家族が食っていける力」が含まれます.
私の持論ですが, 筋肉質な男性がモテる理由は狩猟時代に起因すると考えています.
狩猟時代には筋肉質な男性がより多くの食物を獲得することができたため, 当時の本能が現代の女性の遺伝子に刻まれているのだと思っています.
実際に, ハエトリグモにおいても肉体が強健な個体がモテると言います.
ハエトリグモの脚の表面には神経の繋がる細い切れ込みがスリット上に幾つも開いています.
そのため, 脚が触れている糸や地面が動くと, その切れ込みが歪み, 揺れを感知します.
ハエトリグモの雌は地面を叩く回数の多い雄をパートナーとして選びます.
この地面を叩くという求愛行動は, 雄にとって労力がかかり, 寿命を縮める行為です.
このような求愛行動を激しくできるのは, 体が大きく, 生存に余裕のある雄であるために雌にモテるとのことです.
しかし, 人間社会においては弥生時代にこの傾向が大きく変わりました.
従来は狩猟に長けた者が生存に有利でしたが, 弥生時代からは口上手な者が有利になったのです.
自らを上げて, 他人を陥れるような狡猾な者が生き残る上で有利となったのです.
これを見ると, 「自分はコミュ力が低いから無理」と思う方もいらっしゃることでしょう.
視点を変えてみてください.
弥生時代からは生まれつきの外観形質に恵まれぬ者も生き残る術が開拓されたのです.
ここで着目すべきは, 生き残る上で「自らと家族が食っていける力」が重要という点です.
働き方が多様化し, 多岐に渡るマネタイズ方法が確立された今, 生まれつきの外観形質だけに頼る必要は最早ないのです.
我々土蜘蛛(弱者)は, 生まれつき特別身体が大きいわけでも見た目が良いわけでもありませんが, 己にしかない付加価値が必ずあります.
自らの付加価値に気が付き, マネタイズすれば良いのです.
私は, 幼少期は父親に虐待されながらも毎週宗教施設に連行され, 小中学校では虐めを受け, 高校では友達がいなく, 大学ではアトピーが悪化し, 就活も第一志望を不採用になり, 職場では毎日のようにパワハラを受けてきました.
しかし, そんな私だからこそ伝えられるメッセージがあると, 私は信じています.
自らの付加価値について, 考えて, 考えて, 考え抜きましょう.
博士号は「Doctor of Philosophy」と呼ばれます.
これについて私は, 「自分の研究に哲学を持て」という意味と解釈しています.
哲学とは「考える技術」を指し, 自らの研究について考え抜くことこそ博士の本質と思います.
これと同様に, 自分自身について哲学を持って頂きたいです.
我々土蜘蛛(弱者)が真にすべきは, 人間が平等でないことを受け入れた上で, 自らの宿命と従来の外観形質による自然淘汰に抗うことと思います.
あなたが乗り越えてきた「痛み」は必ず誰かの助けになります.
どうか自らの出自を嘆かずに付加価値と捉え, 自然淘汰に反逆していただきたいです.
我々土蜘蛛一人ひとりが自然淘汰に抗うことで土蜘蛛の都(弱者が見捨てられない楽園)を築くことができると思います.
どうぞよしなによしなに.
※外観に関しては割と努力で克服できることも多いです. 私のようにアトピーがあっても, メイクや筋トレで克服できたケースもあります.